「夜と霧」ヴィクトール・E・フランクル~生きることの意味を問うことをやめよ~

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一度、旧版「夜と霧ードイツ強制収容所の体験記録ー」を購入したものの、その重々しさにギブアップして手放した過去を持つ櫻田こずえです、皆さまごきげんよう!

フロイトやアドラーに師事したユダヤ人精神分析学者が、自らのナチス強制収容所体験をつづった本書は、1956年初版発行後、読み継がれている名著、の新版。

先日、この本を扱った放送大学の授業に感銘を受けて「新版」を手にし、読み始めたら止まらなくなり、2日経たず読み終えました。

この本については書いてないけど授業のレポ: 放送大学の「人格心理学」という科目がとても良かった件 

新旧の違い~圧倒的に読みやすい新版~

とにかく読みやすい現代語の文体なのが、新版。

「人文と社会の書林:「夜と霧」の新版と旧版の違い

読みやすくすることによって失われたものもあろうけれど、それでも、この名著を読むことができて、本当に良かった。

各所で猛烈おススメされている歴史的な名著、気になっていた方はぜひ新版でチャレンジを!

超個人的な学び

前半は、囚われてから収容所に至る道のりや、収容所での生活について、悲惨さをことさら強調することなく、淡々と、しかし冷淡ではなく記述しつつ、心理学的分析がなされています。

後半に進むにつれ、極限の中でも美しく輝く人間の精神の尊さと悲惨さ、著者の実存分析的な思想が展開されて行き、ルポルタージュから、文学作品の様相に変わっていくように感じました。

この本の歴史的意義や、極限における人間の心理など、語るべき学びは至る所にあるのだけれど、ここでは、私が超個人的に感じたことをお話ししたいと思います。

人間としての最後の自由~内面の自由~そして

極限状態に置かれた人間が生き延びるために必要なのは「未来への希望」と「内面の自由」だと。

人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。

誰にも奪えない最後の自由!

No one can hurt me without my permission. という、ガンジーの言葉も合わせて思い出します。

人からの批判にすぐいじける櫻田、環境のせいにして不満を言う櫻田は、この自由を自ら放棄していますね。

収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。

窮地に立たされてこそ、その人の本性が出る、と言うけれど、果たして、自分が苦しかった時、自己憐憫に浸り「私は悲劇のヒロインなんだから、何だって許される」と思っていなかったか・・・

想像を絶する収容所という極限の中で、

通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、なけなしのパンを譲っていた人々

が、内面の自由を表現していた人が、確かに存在していた。

そんな数々のエピソードに、比べるのもおこがましいけれど、自分への歯がゆさを感じました。

しかし衝撃的だったのは、堕落した人達が生き延びる一方、

いい人は帰ってこなかった

と断言していること・・・一番胸につかえた、咀嚼することのできないフレーズが、今も残り続けています。

これは、帰ってこなかった「いい人」への弔いの言葉なのか、この大虐殺を生き延びたフランクルの、罪悪感から生まれたものなのか・・・

生きることの意味を問うことをやめよ

もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問の前に立っていることを思い知るべきなのだ。

~中略~

考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。

グーパンチでした。

悩むことで行動を回避しようとしていた時期が、現状を引き受けずに目をそらしていたことが、問の前で逃亡していたことが、確かにあったから。

生きることの意味を問うことで、生きることを回避していたのかもしれない。

人生から突き付けられた問いには、苦しみも悲しみも引き受けて生きることでしか、答えられない。

この本が、心に深く刺さって様々な悟りを促しているのは、これが、机上の空論や美しい正論ではなく、壮絶な体験に基づく真実の重みがあるから。

今苦しんでいる人にこそ、深く訴えかけてくるものがあると思います。

・状況や過去がこうだから、自分が決まる(フロイトの精神分析的考え方)

のではなく(影響は認めつつ)、

・状況や過去がどうでもあっても、自分はこうなのだ!

という、未来に向けて自分を意味づけ、今の自分の在り方を自ら決められる、人間の自由な意志を重視して。

医師、魂を教導する~生きることに意味を与える~

仲間を守って皆が一日断食となった日の、ことさら辛い夕刻。

フランクルが、収容所の人達に向かって「未来への希望」「内面の自由」の大切さ等を語りかけるシーンがあります。~第二段階 収容所生活:医師、魂を教導する~

意味なく苦しみ、死ぬことは欲しない。この究極の意味をここ、この居住棟で、今、実際には見込みなどまるでない状況で、わたしたちが生きることにあたえるためにこそ、わたしはこうして言葉をしぼりだしているのだ、とわたしは語り納めた。

そして、動くのもままならない人達が、感謝の意を表そうと、涙を浮かべてフランクルの方へよろめき寄って来る・・・

私たちの現実とはあまりにもかけ離れた場所で起こるその情景に、美しいのか、悲惨なのか、感動なのか、苦しいのか、単純には分類できない感情が襲い、何度も何度も、胸をつかれ、涙が落ちる一冊でした。

NHKの100分で名著シリーズも、アリかもしれません。

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