ヴィパッサナー瞑想10日間合宿から帰ってきて、10日ほど経ちました櫻田こずえです、皆さまごきげんよう!
やっとですが、合宿に参加しようと思った経緯と、10日間の瞑想で何を得られたのか、についてお話しして参ります。
なぜ11泊12日の瞑想合宿なんかに行こうと思ったのか?
そりゃ、人生の行き詰まりとか、繰り返す自己否定とか、抑えきれない生きづらさとかに、悩まされていたからです。
え”ーーー櫻田さんってそういう人なの?
えぇ、まぁ・・・でね、やりたいことができない・・やりたいことをやろうと考えただけで、ぎゅっと胸が苦しくなる・・・この苦しみは何?どこから来るんだろう?って。
え”ーーー自由気ままにやりたいことやって生きてそうなんですけど?
わりとそうでもなくってねぇ。
そして、好奇心とか行動力とかだけで行けるものじゃなくて・・・今、櫻田に必要だって、強く感じたんですよね。
今でしょ!って。
苦の原因「無意識に反応する心のクセ」を取り除けるだと!?
ヴィパッサナー瞑想のことを知って(知人に体験者が2人)、オフィシャルサイトや本で読んで、すごく腑に落ちたんですよね。
・オフィシャルサイト「生きる技:ヴィパッサナー瞑想」
全ての苦の原因は外にはなく(悪いあの人とか、親、恋人、仕事、お金、会社、制度とか国)、自分の無意識の領域にある「無意識に反応する心のクセ」の蓄積に原因がある、という内容で。
同じものを見ても、同じ状況になっても、人によってその反応に違いがあるのは、「無意識に反応する心のクセ」が、みんな違うから。
でも、いかんせん「無意識」にあるものなので、カウンセリングとか心理学的知識を持っても、そこを書き換えたり、削除したりするのは難しい・・・と言うより、自分が「心のクセ」を持っているという事実に気づくことすら難しい。
ヴィパッサナー瞑想法はその「無意識に反応する心のクセ」を取り除くことができる、それをして「心の手術」と言うわけです。
カウンセリングとかセミナーも受けているのですが・・・もう、藁にもすがる思いだったんですよ、わりと切羽詰まってる感じ。
うおーその手術、受けたいっ!
10日間の合宿でヴィパッサナー瞑想と共に生きていこうと決めた経緯
サクッとまとめるはずが、全然まとまりませんでした、えぇ。
ヴィパッサナー瞑想って何するの?〜感覚をひたすら観察する
#写真はイメージです、初心者は野外での瞑想はまずはNGって言われました
スピリチュアル?苦行?どんな瞑想法っ?
それは「感覚」に「反応」せずに体の「感覚」を観察し続けることだけ。
感覚=心の状態 ですが(後述)、それをひたすら、目を閉じて自分の内面を観察し続けるんです。
目を閉じたまま、体にくまなく意識をめぐらせ、何か皮膚や体に感覚を発見したら、それをただじーっと観察する。
好き嫌いの反応を決してせずに←ここ重要 平静を保って←ここ重要
瞑想中、つい「夕ご飯何にしようかな〜」「炎鵬は勝ち越せるかな〜」とか、他のことを考えちゃっても「あぁ私はダメだ・・」と、嫌悪の反応をせずに、ただすっと、また感覚の観察に戻る。
それをただ延々と1日中、座って目を閉じて、繰り返していただけなんです。
訪れた瞑想の恍惚感〜私はクリィミーマミ〜
4日目か5日目頃、体の感覚を観察していると、なんて言うか、パンプルピンプルパムポップン(C)クリーミーマミ 状態になったんですよ。(ピンプルが先?)
いやホントだってば(個人差があります)
よく言う、微細な電気が走るとか、ふわっとする感じ、全身があたたかくなる感じ、の個人的な体験だと思いますが、櫻田の脳内でクリーミーマミ(この場合櫻田)がこの呪文と共にキラキラ変身していく、何かお星様にまとわりつかれて、浮かび上がるような感覚を感じました。
何これ超キモチーもっとずっと感じてたいーっ瞑想最高っ!←ウルトラ反応し過ぎ
デリケートにスキしてーーーっ!←オープニング曲
こうやって「快の感覚」に「反応」すると「執着」が生まれて「反応」の海に逆戻りドッポン。
その後の瞑想がめちゃくちゃになります。
心のクセが全面に出て来て、反応の嵐、あらゆる感覚に反応してしまい、瞑想に全く集中できなくなります・・・苦しい・・・これは体験しないと分からないんですが、ほんと苦しかったです。
どんな時も平静さを持って感覚を観察する=心の筋トレ
櫻田が感じたことですが、ヴィパッサナー瞑想の特に初期段階では、パムポップン的な「瞑想できた感」を得ることや、瞑想に集中できたかどうか、はそれほど大切ではないのかと。
瞑想できた感に歓喜せず、瞑想に集中できなくても自分を責めず、何も感じられなくても落ち込まず、しかし「完全な平静さ保ちながら、感覚を感じようとし続ける。」ことがめちゃめちゃ大切なのです。
なぜなら、「快の感覚」「不快の感覚」に平静さを持って対峙できた時、「無意識に反応する心のクセ」が一つ、また一つ、剥がれ落ちて行くからです。
いわゆる心の筋トレみたいなものです、反応しないトレーニング。
「心の手術」でもあるのですが、それだと受け身に聞こえますよね、誰かにやってもらうような。自分でする心の手術、なので、筋トレの方が近いかもしれないけれど、インパクトとしては手術なんですよ。
で、言うのは簡単ですが、そのことを体で、実体験として深く理解できた時、櫻田はヴィパッサナー瞑想と共に生きていこうと決めました←いつまで続くんだろう
これは、櫻田の感じている「苦しみ」に、根本から働きかけることができる、心を手術することができる、生きて行く上で必要な「生きる技」だと強く感じたからです。
瞑想の効果については、脳科学の分野でも様々に検証されていますが、それもまた追ってご紹介したいと思います。
講話で腑に落ちた、ゴエンカ氏の考える、幸福とは・・・
楽しいとき、楽しくないとき、思い通りになるとき、思い通りにならないとき、どのような状況においても、まったく不安がなく、落ち着いている。すべては無常であると悟り、何一つ心配することがない。これが最大の幸福である。
ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法より
ちなみに、世捨て人のように、あらゆることに無関心になることではないんですよ、それもまたお話ししますね。
10日間の合宿は入門、これから修行の道を歩んでいきます
で、櫻田は10日間で解脱できたのか?
いやいや、解脱なんて、もう、遥か彼方先です。
スタートラインに立って駆け出したくらいで、オリンピックに出場できるはずがない、くらいです。
がっかりさせちゃったらごめんなさい。
でも、簡単に得られるものって結局それなり・・・ってこと、3〜40年以上生きてらっしゃったら、もうお分かりですよね。
これから、日々瞑想を続け、定期的に合宿に参加することで、「無意識に反応する心のクセ」を少しずつ剥がしていきたいと思います。
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戻ってきてから、毎朝1時間の瞑想は休まず続けています。
#ちなみに、瞑想は朝晩1時間ずつ推奨、と言われてますので、まだまだ不十分なのですが。
が、今晩飲み会です・・・明日の朝が正念場です。
6時に起きていつも通り瞑想できても、瞑想の内容がめちゃくちゃでも、寝坊して7時に起きてしまって瞑想できなくても、心に波風を立てることなく、完全な平静さを持って、また次の朝瞑想できればそれでいい。
瞑想ができるかできないかより、それに反応するかしないかが、大切だと思っています。
これが正しいのかどうか分からないけれど。
いつまで続くか分からないけれど。
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ということで、櫻田の実体験と共に、櫻田が感じたことをつらつらと書いてきました。
瞑想の実践については、順序や段階、正しいやり方がありますので、必ず、必ず、正しい指導を受けて実践されてください。
オフィシャルサイト:日本ヴィパッサナー協会
ゴエンカ氏(世界にヴィパッサナー瞑想センター:全て完全に非営利 を設立した瞑想の指導者)の著書には、大切なことがたくさん書かれており、これについてもご紹介したいと思っています。
人生で出会うものは、つきつめてゆくと、すべてが自分の心の行為の結果なのだ。
ヴィパッサナーの修行をすれば、幸不幸はすべて自分の責任にあることがわかる。
「自分の責任」と言うと厳しいかもしれないけれど、相手や社会のせいではなく自分の責任なら、自分で変えることができる、希望が持てる言葉です。
また、瞑想中にものすごい発見がありました・・・ぽっかり空いた体の空洞に。
そんなお話もまた、させてください!