「存在の耐えられない軽さ」ミラン・クンデラ☆読んでる自分に浸る

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大学生で最も読んだのは、ミラン・クンデラの著書でした。
その出会いとなった代表作がこちら。

ジュリエット・ビノシュ主演で映画にもなりました。

正直に申し上げて、
「私なんだか小難しい本を読んでるわ!こずちゃんかっこいい!」
的な感覚に浸っていた、という点は否定できません、はい。

哲学書となるとそれっぽ過ぎるし分からないし、小説だとだと軽過ぎる。
クンデラ文学はあくまで小説で文学だけれど、哲学的思想的な描写も多く、
重さと軽さのバランスが良かったのだと思います。

勉強=受験勉強=偏差値だった高校生が一浪してどうにか大学に合格し、
1年生の時にきっかけは忘れましたがクンデラに出会い、
激しく衝撃を受け、文学・哲学の扉がばーんと開かれ、
その果てなき広大な世界にクラクラしたことを覚えています。

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またこの写真のクンデラがニヒルでカッコいい。
必死に書き込みながら読んだ跡が懐かしい。

19歳と言うタイミングで出会ったからこその、
櫻田にとってのこの本は、という書評です。
バイパス沿いのミスドで、コーヒーを永久お代わりしながら読んでたなぁ。

■ あらすじ

モテ系遊び人の外科医トマーシュと、田舎出のテレザ夫婦&犬を中心に、
自由奔放な画家の愛人サビナ、その恋人の大学教授フランツが織りなす、
チェコ「プラハの春」とその凋落の時代を背景とした恋愛小説。

なんですが、中身は哲学的、思想的・政治的な記述が多く、
小説とカテゴライズし難い。

櫻田的には、クンデラが紙芝居をしていて、
そこで4人の物語が展開するけれど、
誰かが何かをする度言う度に、紙芝居を止めてしゃれた解説をする。

って言うかむしろ、クンデラがその思想やら~

めまいを弱さからくる酔いと名付けることもできよう。
自分の弱さに酔いしれ、もっと弱くなりたがり・・・

誰もが誰かに見られていることを求める。~四分類~

人間の時間は輪になってめぐることはなく、
直線に沿って前へと走るのである。
これが人間が幸福になれない理由である。
幸福は繰り返しへの憧れなのだからである。

~を展開し、実例を付けるために、トマーシュはテレザを裏切り、
しかし結局は弱さという攻撃性にひれ伏し、
サビナはカリフォルニアに引っ越し、
フランツはカンボジアで辟易し、妻ににゲッソリする、
という紙芝居が展開される。

脱線がひどく、洒脱で難解な語りに入るんですが、それも魅力。
ストーリー展開を楽しむよりも、クンデラおじさんの人物社会解説を楽しむ本。

小説という舞台を借りた、哲学書と認識しております、櫻田は。

■ 背伸びをすることって大切だよね

19歳の櫻田の知識、理解力を大幅にオーバーしていたので、
何を言ってるのやら、さっぱり分からなかったものの、
未知の世界が開けている、という知的興奮だけは伝わってきて、
ただひたすら線をひっぱったり書き込んだりして読み込みました。

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また、登場する文学作品や哲学者の著書を紐解き、
さらにクンデラの他の著書を読み、知らない単語の意味を調べ、
(当時はまだGoogle先生はおらず、図書館で地味に調べてたなぁ♪)
一つずつ、一つずつ、理解を重ねて行ったような感じです。

キッチュ、アプリオリ、メタファー、永劫回帰、アナクロ、
ベートーベンの解釈、ニーチェは何者で、記号論とは何で、
オイディプス王の物語は何を伝えているのか。

心理学や社会学、政治を学ぶ度に、
あぁ、クンデラの言ってたことが(なんとなく)分かった!
となるのが、大学生櫻田の密やかな愉しみでした。

きちんと理解できたかと問われれば、できていないでしょう。
なのですが、学生はやはりそういったストレッチが大切だと思いますし、
若き櫻田にとっては、なんだか良く分からない部分があるゆえに、
恐れ、畏怖し、ゆえに憧れる作品であり続けるのです。

私の小説の人物は、実現しなかった自分自身の可能性である。
小説は著者の告白ではなく、世界という罠の中の人生の研究なのである。

このね、ちょっとエスプリが効きすぎて良く分からないヒネリを、
自分なりに理解できた時の満足感を楽しめると良いです。

これまた学生時代に櫻田が大好きだった、
三島由紀夫の「鏡子の家」が持つニヒリズムに
どこか通じるものを感じたのも、この作品を神格化する理由の一つ。
その無理やり結びつけたことを、世紀の発見とか己惚れるのも、
またいとをかし。

久しぶりに読み返したら、景色が変わっていました。
それもまた、繰り返し読むに値する本がくれる、密やかな愉しみです。
間違いなく櫻田こずえベスト5殿堂入りの一冊です。

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