2年ぶりに岡山のおばあちゃん家に泊まって来た櫻田こずえです、皆さまごきげんよう!その3。
おばあちゃんは感謝の気持ちを持ってるもん!
おばあちゃんは、親戚中から「感謝の気持ちも言葉もない。」と言われていて、近所のおばあちゃん達と話していても、そんなことを言われるのだけれど、全然、そんなことないって、いつも思ってました。
今回もおばあちゃんから沢山のありがとうという言葉をもらったし、出かける朝には、わざわざ押し車を押して近所の即売所まで行って、野菜をいくつか買って持たせてくれて、その気持ちがとても嬉しかった。
でも、それは都合の良い時だけ行って、2,3日尽くして「あーいいことしてあげたー♪」と善人ズラできる、よそ者の私が思うことなのだろうとも思う。
仕事や育児や体調で、そうしてあげたくてもできない人もいる。
だいたい、コンスタントに手を差し伸べることこそ、おばあちゃんにとって大切なのであり、そしてそれは気まぐれに訪問するより、何倍も何倍も、比べ物にならないくらい大変なことなのだ。
だから「違う、おばあちゃんは感謝の気持ちを持ってるもん!」みたいなことを、おばあちゃんに近しい他者に対して思うのは慎むべきだと反省しました。
決して言葉にはしないけど、態度にがっつり出るから、そういうの。
善人ズラした部外者だな自分って。
別に誰かから言われた訳ではないけれど、これまで櫻田はきっと「私がおばあちゃんのところに行ってあげる!」みたいな、出しゃばり使命感とか、発していたんじゃないかと思う。
ボランティアの押し売りが、関係者に迷惑がられるように。
なぜ櫻田はおばあちゃん家に行くのか?
おばあちゃんが好きだから行くのか、必要とされることが嬉しくて、感謝されたいから行くのか、いいことしてる気分になれるから行くのか、帰りの飛行機の中でずーっと考えていました。
もちろんそういう「いいことしてキモチー」的なものは、絶対ある。
でも、多分、櫻田がおばあちゃん家に行きたいのは、単におばあちゃんが好きで、行くと楽しいから・・・昔からの友人の家に遊びに行くような気持ちと、何ら変わらない気がする。
さらに、小さいころから親しんでいる岡山の自然に心が安心するとか、おばちゃんといるとなぜかほっこりするとか、お仏壇のおじいちゃんが見守ってくれているような気がするとか、いわゆる櫻田にとってのパワースポット的な場所だから、癒してもらいたくて行くのだ、と今回思いました。
#おばあちゃん家の近くにある、トトロが出てきそうな大きな木と神社(木の向こう側)。守ってくれるんだろうなぁ。
子供がいない負い目、かな
人生の折り返し地点とも言える40歳を超えて、先祖や祖父母、両親がいてこその自分、を強く意識するようになって、奇跡のように有難くこの世に生を受け、こうして生きていることに、ただただ感謝していて、そのお返ししたい気持ちを、分かりやすく表現できるというのもある。
特に、櫻田には子供がいないのが大きい。
そんな自分に、生物的にも社会的にも引け目を感じていて、新しい命を守り育てることができないなら、老いていく命に恩返しすることが、私の役割なんじゃないか?、というか、そう思いたい、そう思わないと、自分の中のバランスが取れない・・・
そうだ、これが一番大きいのかも。
人間を形作る要素として、遺伝子というのは絶対的で強いパワーを持っていて、それに抗うことはできない。
種の保存が遺伝子の使命ならば、櫻田はそれに反して生きている。種の足手まとい、落ちこぼれなんだ・・・と、どうしようもなく自分を責めることがある。(櫻田が勝手に自分に対してだけ思ってしまうことであり、子供のいない方に対して一般的に思うことではないです)だからこそ、何か貢献して償いたい、バランスを取りたいと思っているからじゃないだろうか。
岡山に行くのは、おばあちゃんのためと言うより、好きだから、楽しいから、癒されるから、そして、生きるバランスを取れるから、という、全くもって自分のため、自己満足なのだ!という結論は、自分的にとてもしっくり来ました。
そうしたらなんだか・・・心も体も緩みました。
今回櫻田がおばあちゃんの家に行くことで、誰かが平日の昼間におばあちゃんを病院に連れて行かなくて済んだ(誰が行くかもめたようである)。
いろんなパワーバランスが落ち着いて、次の付き添いは平和に決まりそうだ。
櫻田の意図や周りの考えがどうであれ、おばあちゃんは無事に病院に行けたし、物事がうまく運んだ。
★
毎日顔を出すことはできないけれど、みんなが困っている時、ああそういえばあの手(櫻田)があった!と思われる存在でいたい。
そして呼ばれればいつでも行けるように、ある程度の心身時間経済的な余裕と、バッハ君の理解(家を空けるので)等維持しておく、突き詰めれば、自分自身がハッピーで安定していることが大切かなと思いました。
次は、ほうれん草を刻むのを忘れないようにしなきゃ、と思いつつ。