岡山に行って来たのは、母方の実家問題絡み。
「おばあちゃんの家に一泊して、病院におじさんの見舞いと洗濯に行って。」
という母の指令があって、はい、と行って参りました。
祖母、おばあちゃんと過ごすなんて、20年以上振りのことで、
90を越えて目も耳も悪く、そして、超田舎で陸の孤島的なあの家で、
お金問題や相続問題、親戚との関係など大人の事情がうごめく中、
私に何ができるんだろう、何をしたらいいんだろう、かなり不安な気持ちで向かいました。
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一晩おばあちゃんと二人きりで過ごした翌日、タクシーで離れる時、
おばあちゃんが子供みたいに涙をぬぐいながら手を振っているのが見えて、
おばあちゃんには見えない、聞こえないことは分かっていても、
窓を開けて大きく手を振って、大きな声でおばあちゃーんと叫び、
その後しばらくタクシーの中で涙が止まらなくなって・・・。
#母にそっくりな祖母。母にそっくりな櫻田。
#つまり、50年後の櫻田の顔はきっとこうなんだなと思いつつ。
おばあちゃんのさみしさや不安が胸を締め付け、
楽しくあったかかったおばあちゃんとの2日間が名残惜しくて。
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20年前に夫に先立たれ、先日、同居していた息子(おじさん)も
夫と同じガンで倒れ、仲の悪いお嫁さん(息子妻)は施設に入居することになり、
さみしさと不安を抱えたまま一人家に残され、
「こんな長生きしとーない」と言ってうつむいていたおばあちゃん。
一緒に洗濯ものを干しながら、干し方に文句を言われたり、
自慢の菜園の収穫をして、空港でひっかかるんじゃないかって程持たされたり、
夜中に足の痛みで起きたおばあちゃんの足をさすってあげてたら、
いつの間にか二人とも寝たてたり、
縁側に二人で寝転んで、戦時中の空襲で一命を取り留めた話を聞いたり、
結婚するまでおじいちゃんの顔を知らなかったという話を聞いたり、
昔の金利はすごかった話を聞いたり、年金問題の話をしたり、
一緒に料理をしたり、納屋のつばめの巣をじっと二人で観察したり、
おじいちゃんのお仏壇に供えたゼリーを、二人で半分こして食べたり。
ちょっとずつおばあちゃんの笑顔が見られるようになって。
どの方向からどんな音量で話しかけたら、よく聞き取れるのか、
何が嫌いで何が好きなのか、自分のことはできるだけ自分でやりたいとか、
孫(櫻田)に迷惑なんてかけられないと思っていること、
プライドがあること、身体は弱くても頭脳は明晰なこと、
何より、病気の息子を心から心配しているのに蚊帳の外な状況に不満なこと、
(でも、聞いた事をすぐに忘れてしまうこと・・・)
話を聞いて欲しいと思っていることが分かって来たり。
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縁側から見える風景は、辺り一面の田んぼと、あぜ道、おばあちゃんの小さな畑、
それから低くなだらかな山、沢山の種類の鳥、遠くに見える大きな家々。
時が止まったような、桃源郷のような。
実際の状況はそんな甘くなくて、これから一人になっちゃう、
お買い物にも一人で行けないおばあちゃんをどうするのか、
揉めてるお金の件はどう決着させるのか、兄妹の確執、母娘の確執、
沢山の問題があって、当事者意識のない、一日だけ、の櫻田だからこそ、
そんな呑気なことが言えるのだろう。
でもきっと、当事者じゃないからこそできることがあるのかなとも思う。
一人実家に残された父にご飯を作りに帰るとか、
母の飛行機のチケットを取ってあげることとか、愚痴を聞くこととか、
おばあちゃんの家に泊まって、話をただただ聞くこととか。
今回、大げさだけど、おばあちゃんがいるから、私が存在し得ること。
もう、それだけで感謝してもし切れないことに改めて気づき、
そのことに感謝して、その気持ちを伝える場所をもらった。
こんなチャンスをくれた母に感謝しつつ。
「こずえがピカピカにしてくれた洗面所で顔を洗うと気持ちええな。」
って嬉しそうに言ってくれた、そのおばあちゃんの笑顔が忘れられない。
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お見舞いに行ったおじさん(おばあちゃんの息子・母の兄)は、
抗ガン剤が上手く効かなくて、いよいよ厳しい状態になって来ている。
昨日も容体急変の知らせを受けて、母は早朝便で岡山に向かった。
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櫻田は、おばあちゃんとの時間とか、おじさんの病状とか、いろんな確執とか、
上手く消化できなくて、命とか、家族とか、子供とか、親戚関係とか、
いろんな事が消化できなくて、立ち止まってしまっている。
多分それは頭で消化できる類のことじゃないんだけれど、
なんだか気持ちが落ち着かなくてブログを書く気持ちがなかなか起きなかった。
何のために生きて、何のために仕事をして、何のために書いているんだろう・・・。
いやでも、大それたテーマを考える必要はなくて、ただ生きていることに感謝して、
ただ、周りが求める「自分ができること」をしていくことだけが、
生きること、なのかもしれないと、おばあちゃんに教えてもらった気もする。
この記事を書いたら、前進できるような気がして、三日掛かって書いているけど、
何が言いたいのかもよく分からない、自己陶酔な文章になってしまって、
求められていることではなく、自分のための記事だなと思いながら、
結局足踏みをしているような気もする。
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おじいちゃんのお仏壇にお供えした、赤ちゃんのお尻のような桃が、
そろそろ食べ頃なことに誰か気づいてくれてるだろうか。
いろんな手続きやら意見の衝突に比べたら、すごく些細なことなんだけど。
きっとやっぱり蚊帳の外であろうおばあちゃんのお尻をつっついて、
こっそり耳元で「桃食べよう」って言いたいんだけど、
耳が悪くて電話にも出られないおばあちゃんに、どう伝えたものか。
↑2021年6月までに頂いた拍手数です、ありがとうございました。
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